2012年4月28日土曜日

全ての幸せのために


アメリカのヤフーニュースの全訳です。

まだどこかに、アメリカという国ではどんなことでも起こりうるということが信じられない人がいるのであれば、アメリカ建国の理念が今日も生きていることにまだ確信が持てずにいる人がいるのであれば、アメリカの民主主義の力に疑問を呈する人がいるのであれば、今晩がその答えだ。

 その答えはかつてないほどの数の学校や教会を取り囲んだ長蛇の列に並んで、3時間も4時間も待っていた人々によってもたらされた。なぜなら、彼らは今回こそは違うと信じていたからだ。そして、彼らの声こそがその違いになったのだ。

 その答えは語られた。若者によって、老人によって、金持ちによって、貧乏人によって、民主党支持者に、共和党支持者に、黒人、白人、ラティーノ、アジ アン、ネイティヴ・アメリカン、ゲイ、ストレート、障害者、健常者によって。世界にメッセージを発信する全てのアメリカ人によって語られた。我々は単なる赤い州(共和党支持の州)と青い州(民主党支持の州)の集合ではないのだと。我々は今も、これからもずっとアメリカ合衆国なのだ、と。

 その答えは、我々が成し遂げようとしていたことに対してシニカルになれと、あるいは恐れよと、あるいは懐疑的になれと余りにも多くの人々から余りにも長い間言われ続けてきた人々が歴史の琴線に触れ,今一度それをより良き日々への希望に向けるよすがとなるものだ。

 答えが出るまでには時間がかかった。が、今晩、我々が今日行った行為(投票)によって、この選挙で、まさにこの瞬間に、アメリカに変革が訪れたの� ��。

 ついさっき、マケイン上院議員からとても丁寧な電話を頂いた。彼は長い間ハードにこの選挙をっ戦ったが、彼は愛する国のためにもっと長い間、もっとハードに戦ってきたのだ。彼は我々の多くが想像し始めることさえも不可能な祖国への犠牲に耐え、この果敢にして無私のリーダーの下で我々の生活は改善してきた。私は彼とペイリン副大統領候補のこれまでの業績を称え、数ヵ月後にこの国の行く末を刷新するためにともに働く日々を楽しみにしている。

 この旅路のパートナーに感謝したい。心から選挙に協力し、スクラントンのストリートで共に育ちデラウェア行きのあの電車で一緒に家に帰った仲間達のために話した男。合衆国副大統領、ジョー・バイデンだ。


Limerick、アイルランド、市庁舎で発熱病院

 この人の不屈のサポートがなければ私はここに立っていることすらできなかっただろう。この16年間の最良の友であり、我が家の要であり、我が愛であり、合衆国ファースト・レディであるミシェル・オバマ。サーシャとマリア、二人とも愛しているよ。約束どおり、ホワイトハウスに連れて行く子犬を選ぶといいよ。
 そして、祖母はここにはいないけれど、彼女は家族と共に見守ってくれている。私を今の私にしてくれた家族と。今晩、ここにいないのが残念だ。彼らには、どれほど世話になったことだろう。

 キャンペーン・マネージャーのデイビッド・プラウフ、主席ストラテジストのデイビッド・アクセルロッド、そして政治史上最高の選挙チーム、君達がこれを成し遂げた。そのために払ってくれた犠牲に対し、私は一生感謝を忘れない。

 しかし、何よりも。私はこの勝利が本当は誰のものであるかを決して忘れない。貴方だ。この勝利は貴方のものだ。

 私が勝てそうな候補者であったことはなかった。資金もなければ支持もなかった。我々の選挙戦はワシントンのホールではなく、デモインの裏庭やコンコードの居間やチ� ��ールストンの玄関から始まったのだ。

 それは、なけなしの貯金をまさぐらないと5ドル、10ドル、20ドルも出てこないような労働者達から始まった。次に、若者達が力をくれた。その年代は情熱を燃やすことがないという神話を否定し、安い賃金と少ない睡眠時間で働くために家を、親元を離れて協力してくれた。それほど若くない人々も極寒酷暑の中、全く見知らぬ人々の家をノックして回ってくれた。何百万人ものアメリカ人が、ボランティアとして組織をつくり、2世紀以上を経てもなお「人民の、人民による、人民のための政府」が地上から消滅していないことを証明した。これは、貴方たちの勝利だ。


パレスチナでは、どのような種類の政府がありますか?

 貴方たちは、選挙に勝つだけのためにこれをやったのではないし、ましてや私のためにやったのでもない。貴方たちがここまでやったのは、ひとえにこの先に待ち構えている仕事が莫大であることを知っているからだ。こうして祝福している今日でさえ、明日やってくるであろう挑戦は人生で最も厳しいものになるだろうと知っている。二つの戦争、環境危機、今世紀最大の経済危機。我々が今晩ここに集っている間にも、イラクの砂漠やアフガニスタンの山で勇敢なアメリカ人が我々のために命をかけている。子供が寝た後で、どうやって住宅ローンを返済するか、医療費を支払うか、大学までの教育資金を捻出するか、悩んでいる 両親がいる。制御しなければならない新たなエネルギーがあり、創出しなければならない新たな雇用があり、建設しなければならない新たな学校があり、敵が待ち構えていて、修復しなければならない同盟がある。

 この先の道は長く、勾配は険しい。一年では辿り着けないかもしれないし、一期でも難しいかもしれない。だが、アメリカよ、私は今晩ほど希望を抱いたことはかつてない。私は貴方たちに約束する。我々は必ず成し遂げる。
 後退することもあるだろう。道を間違うこともあるだろう。私が大統領として下す判断や政策に同意しない人は沢山いるだろうし、政府が全ての問題を解決できるわけでもない。だが、少なくとも我々が直面する課題に関して私は常に正直でいようと思う。私は貴方の言うことを聞く。同意が得られない場合には特に良く聞く。何よりも、私は貴方に参加して欲しいのだ。過去221年の間、この国がしてきたようにこの国を作り直す仕事に。1ブロックずつ。レンガ一個ずつ。豆だらけの手で。

 21ヶ月前の冬のさ中に始まったことが、この秋の晩に終わるわけではないのだ。この勝利それ自体は我々が望んだ変革ではない。変革を起こすチャンスを与えてくれただけだ。ここで後戻りしたら何も起こらない。貴方の協力がなければ何も 起こらない。

 だから、新たに愛国の精神を、奉仕と責任の精神を呼び覚まそう。我々が問題に一生懸命に取り組み、自分だけではなく互いに助け合えるよう決意するために。この経済危機がもたらした教訓を思い出そう。それは、メイン・ストリートの具合が悪いときにウォール・ストリートだけが繁栄することはできないという教訓だった。少なくともこの国では。我々は一つの国、一つの民として運命を共にするのだ。


日本はイギリスよりもどれだけ大きい

 党派心、近視眼、未熟さといった、これまでに余りにも長い間政治が陥ってきた同じ過ちに陥らないようにしよう。共和党の旗を最初にホワイトハウスに持って行ったのはこの州出身の男だったことを思い出そう。共和党は信頼と個人の自由と国家の団結に価値を置く政党だが、その価値観は我々全てが共有するものだ。今晩、民主党が偉大な勝利を手にしたが、我々は謙虚に、そして我々の進行を妨げる断絶を修復する決意を持って、この価値観を共有しよう。リンカーンは現在よりも遥かに分断された国民に向かって説いた。「我々は敵ではなく友である。情熱は友愛の絆をすり減らしたかもしれないが、絆を完全に壊してはいけない」だから� �今後、私が助力を必要とするであろうアメリカ人達に伝えたい。私は貴方を選挙で勝たせることはできないかもしれない。だが、貴方の言うことに耳を傾けよう。貴方の助力が必要なのだ。そして、私も大統領の責務を果たそう。
 そして、海の向こうから今晩の様子を見ている人達に伝えたい。議事堂や王宮からうち捨てられた街角のラジオに集う人々まで。我々の物語は別々かもしれないが、我々の運命は共有されている。新しいアメリカのリーダーシップの時代がやってくる。世界を引き裂こうとしている者は、我々が打ち滅ぼそう。平和と安全を希求する者は、我々がサポートしよう。そして、今でもアメリカはそれほど輝いているのかと疑問に思う者よ。我々の強さの源は軍事力でも経済力でもなく、尽きることない理念、すなわち、民主主義、自由、機会、絶えない希望なのだということを、今晩我々は今一度証明したのだ。

 アメリカの真の資質はアメリカは変わることができるという点なのだ。我々の団結は完璧になりうる。これまでに成し遂げ てきたことが、明日から成し遂げなければならない事への希望となる。

 この選挙では多くの史上初と多くの物語が生まれ、語り継がれていくだろう。だが、今晩私の頭にあるのはアトランタで投票した女性の物語だ。彼女は、選挙を通じて声を届かせようと列に並ぶ何百万人もの人々となんら変わる所はない。唯一つ、アン・ニクソン・クーパーが106歳だということを除いては。

 彼女は奴隷制直後の世代に生まれ、当時の道路には車がなく飛行機もなかった。更に、二つの理由で選挙に参加することもできなかった。彼女が女性であり、皮膚の色が違ったからだ。


 そして今宵、私は彼女がアメリカで過ごした1世紀を思う。悲嘆と希望。闘争と前進。我々にはできない、と言われ続け、そのアメリカ人の信条を押し付けられた日々。 Yes we can(いや、できるさ)

 女性の声は押し殺され、女性の望みはかき消された時代。彼女は見た。女性が立ち上がり、声を上げるのを。そして今晩、投票所にやってきた。 Yes we can(そう、できるんだ)

 (1930年代)砂嵐の被害に苦しむ中南部には絶望が、そして国中に憂鬱が蔓延した時代。彼女は見た。ニューディール政策、新しい職と新しい公共心によって国が自力で恐怖を克服する様を。 Yes we can

 爆弾が真珠湾に降り注ぎ、世界が独裁者の脅威に晒されたとき。彼女は見た。その世代の人々が偉大にも立ち上がり民主主義が救われるのを。 Yes we can

 彼女は見た。モントゴメリのバスを、バーミングハムの放水を、セルマの橋を。そして、彼女は聞いた。アトランタから来た宣教師が人々に「我々は勝利する」と語るのを。 Yes we can

 人類が月に到達し、ベルリンの壁は崩され、我々の科学と創造力によって世界中が結ばれた。今年、この選挙で彼女は指でスクリーンに触れるだけで投票した。106年もの間アメリカで生活し、最良のときも最悪のときも経験してきた彼女は、アメリカがいかに変われるかを知っている。 Yes we can

 アメリカよ、我々はここまでやってきた。実に多くを見てきたが、実に多くが手付かずだ。だから今宵、我々は自問しよう。我々の子供達が来世紀を見るならば、私の娘達が幸運にもアン・ニクソン・クーパーほど長生きできたなら、どんな変化を目撃するのだろう?どんな進歩を成し遂げているのだろう?

 これは、その問いに答えるべく、我々に与えられたチャンスだ。我々の時、我々の時代なのだ。人々を仕事に戻し子供達に機会のドアを開く、繁栄を取り戻し平和を推進する、アメリカンドリームを再生し根本的な真実を再確認する、つまり、多くの場面で我々は一体である。共に生き、共に望む。シニカルであったり懐疑的であったり、我々にそれは無理だと言い続けるような人々に出会った場合には、我々は人� �の精神の総和である朽ちることない信念をもって応える。

 Yes we can

 ありがとう。貴方に神の祝福を。アメリカに神の祝福を。



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