2012年4月15日日曜日

彼らを信用して何か良いことがありましたか?: ぐり研ブログ


先日は日経メディカルにおいて、狂牛病関連の啓蒙活動においても著名な神経内科医の「マッシー池田」氏がこんなことを書いていました。

◆池田正行の「氾濫する思考停止のワナ」なぜメディアが"けしからん"存在になってしまうのか(2011年7月12日日経メディカル)より抜粋

(略)
 今や多くの医師にとって、メディアは厚生労働省や政治家と同じく、現場を知らずに誤った言説を垂れ流し、自分の仕事を妨害する"けしからん"存在となっています。ですが、私は、メディアを仮想敵と決めつけてしまうのは損だと思っています。メディアは面白いことをするための道具に過ぎないからです。しかし、私が見ていても、あるいはメディア関係者から話を聴いても、メディアをうまく使っている医師は、片手の指で数えられるほどです。
(略)
 テレビ局は、ドラマであろうとなかろうと、番組に医師を登場させるときは、必ず何らかの意味で「名医」あるいは「カリスマ」の名札を付けた医師を主役に据えるのが普通です。ですが現場では、その医師が常に名医であることなどありえません。現場では、患者が担当医を教育し、研修医が指導医を助け、看護師が医師に教える。その繰り返しです。そのような現場を知っている医師達が、決まってイケメン俳優が名医を演ずる陳腐なドラマを見せられれば、馬鹿馬鹿しくなってテレビのスイッチを切ってしまいたくなるのは当然でしょう。

 しかし、メディアで働く人々が、おとぎ話のような作品を世の中に出し続けてきた責任の一端は「マスコミはけしからん」としか言えなかった医師達にあるのではないでしょうか。なぜなら、「現実とは違う」と指摘し、是正できるのは、現実を知っている医師をおいて他にいないからです。
(略)

「不条理」は被害者意識が作る妄想

 話を戻して、「なぜ、医師にとってメディアが"けしからん"存在になってしまうのか」を考えてみましょう。「医療崩壊はマスコミに責任がある」という論調は、いつぞや某国で盛んに流行した「不景気も失業も犯罪の増加も、全てはユダヤ人の陰謀である」というスローガンをほうふつとさせます。

 不条理(と"感じ"ること)は、毎日身に降りかかってきます(と我々は"感じ"ます)。ここであえてカッコ内に"感じ"を付け加えたのには理由があります。我々に降りかかってくるのは、万人が納得する基準で定義された不条理ではなく、自分の立場を反映した「不条理感」です。自分は真摯に生きているのに、なぜこうやたらと不条理の嵐に苛まれるのだろう、という感覚です。

 「自分は何も悪いことをしていない。だから自分に原因はない。では悪い奴はどこにいるのか。それは、自分が真摯に働いている現場を悪し様に書くマスコミ(あるいは現場を理解しようとせずに理不尽な通知を乱発する厚労省の役人ども)に決まっている」。こうして不条理感が被害者意識と仮想敵の構図を生み出すのです。例えば、医療者から大きな反発があった「たらい回し」という表現がありました。ですが、医療者がいくら「受け入れられなかった」と言っても、患者からみれば「受け入れてもらえなかった」ことには変わりがないのです。この例を見ても、「不条理」は絶対ではなく、お互いが自分の立場に依拠した相対的な「不条理感」に過ぎないことが分かっていただけるのではないでしょうか。


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 もっとも仮想敵を自分の心の中に生み出した人自身は、仮想敵ではなく真の敵と信じて疑いません。自分に不条理を投げかけてくる敵が生まれれば、その敵に対して自動的に攻撃を開始します。これが、「医療崩壊はマスコミ(あるいは厚労省)に責任がある」というスローガンの正体です。攻撃する本人は、その攻撃に対する相手側からの反応を、たとえ相手側にその意図がなくても、全て自分に対する反撃として解釈してしまいます。こうして「不条理(と自分が信じること)と闘う医師」が生産されていくのです。

 この不条理感と仮想敵の構図は、双方の参加者に無駄な消耗を強いるだけで、決して生産的ではありません。また、どんなに仮想敵を攻撃しても、不条理感は決して減弱しないどころか、逆にどんどん増大していくばかりであることは明らかです。

 この馬鹿げた不条理感の払拭は簡単です。明らかな事実関係の誤りは指摘する必要がありますが、「マスコミはけしからん」と考えるのを止めればいいのです。今まで何億、何十億の人々が、「マスコミはけしからん」と念仏のように繰り返してきたでしょう。ですが、その念仏を唱える人々は、同時に「マスコミはいつまでたっても変わらない」と主張しています。つまり念仏が何の役にも立っていないことを自ら認めているのです。「厚労省はけしからん」「政治家の○○はけしからん」も同じこと。そんな無意味な念仏は「自分が念仏を唱え続けなければ日本が沈没してしまう」という、幼弱な誇大妄想を幾つになっても持ち続けられる、未成熟な暇人どもに任せておきましょう。無駄な念仏では� ��く、「相手の力を古武術のように上手く使う方法はないのか」を前向きに考えていくべきなのです。無視するのは、使い道がないことが分かってからでも遅くないでしょう。

 今回、読者の方々に是非とも考えていただきたいのは、まずメディアの使い方です。「マスコミ」というと、すぐに全国紙やテレビのキー局を思い浮かべてしまいますが、まずは、自分の生活に密着したメディアの使い方から考えてみたらいかがでしょうか。一番身近なのは近所でのお喋りや町内会回覧板。さらには地方新聞、地場のラジオ局といった地域のメディアは、皆さんの日々の仕事と生活に大きな影響力を持っています。そういった身近なメディアと良好な関係を保ち、その身近なメディアとともに、地域医療や日々の生活で皆さんが感じる不条理感を減弱させ、より快適に生きられる可能性を探ってみるのです。そうすれば、おのずからメディアの使い方は分かってくるはずです。


ベドウィンの部族は特別accasionsに何をしたか

医者対マスコミと言えばまるで医者だけがマスコミを嫌っているかのように聞こえますけれども、彼らが国民から総スカンなのは視聴率や部数の凋落ぶりを見ていても明らかですし、日本のみならずアメリカだろうがイギリスだろうが職業別信頼度調査ではジャーナリストは最下位争いの常連と決まっていて(ちなみに幸いなことに?医療従事者は上位を占めているようです)、単に日本の医者の反感がどうとかいう問題でもなさそうですよね。
ですから単にマスコミ嫌いを公言しても何の意味もないのは全く同意すべきことで、こうした(当のマスコミはあまり表に出したがらないようですが)彼らの信用のなさをもっと突き詰めていく、そして最終的には「テレビが言っているからウソだろう」「新聞に書いているから何か裏があるな」と言う状態にいたって初めて彼らの無害化が達成されるのかも知れません。
およそ医療に限らずどんな専門分野の話を広報する場合であってもそうですが、門外漢の介在者を挟んで伝言ゲームをやればやるほど情報が間違った方向に変質していくのは当然で、ましてその中間段階で「こうすれば売れる!」なんて余計な思惑が入れば入るだけ話がややこしくなるわけですから、ネットなど幾らでも直通の情報ルートがある時代にマスコミを介在させる意味自体がなくなってきているわけです。
彼らマスコミがどんなファンタスティックな魔法使い医師ばかりを登場させようが国民がそれを真に受けない、むしろ最初からネタであると割り切ってゲラゲラ笑いながら見ている中で「あれ?そう言えば本当の医者ってどんなことやってんだ?」と疑問に感じ始める、そこで初めてマスコミなどという有害無益なバイアスを挟まない現場の生情報を、国民が余計な刷り込み無しで受け入れられるようになるということですよね。

さて前置きはそれくらいにして、既存メディアの中にも読む価値、見る価値のあるものはもちろんあるもので、例えば個人的に楽しみにしているのが週刊ポストの「ニッポン あ・ちゃ・ちゃ」という小さなコラムです。
一見すると渡米日本人の目から見たアメリカの日常におけるカルチャーギャップといった体裁の短信なんですが、実際にはごく普通の日本人から少しばかりずれていて、もちろん真っ当なアメリカ人でもない「お前の感性はいったい何人なんだよ!(笑)」と突っ込みたくなる筆者の独自の視点がおもしろいんじゃないかなと思っているのですが、先日はこんな記事が掲載されていました。

米の緊急外来 インフル検査1500ドル、CT撮影5000ドルの例(2011年7月11日NEWSポストセブン)

おぐにあやこ氏は1966年大阪生まれ。元毎日新聞記者。夫の転勤を機に退社し、2007年夏より夫、小学生の息子と共にワシントンDC郊外に在住。著者に『ベイビーパッカーでいこう!』や週刊ポスト連載をまとめた『アメリカなう。』などがある。おぐに氏が、ドラマでおなじみのアメリカの「ER(=緊急外来)事情」について解説する。

* * *
先日、アメリカで初めてER、つまり緊急外来(Emergency1 件 Room)に駆け込んだ。理由は夫の急性副鼻腔炎。処方された痛み止めが効かない! と家庭医に電話すると、「すぐERで頭部CTスキャンを撮ってもらえ」となったのだ。

夫は激痛で動けない。日本なら救急車を呼ぶ場面だけど、アメリカの救急車は呼ぶだけで数百ドル。おまけに家族の同乗は許されない。「もれなくパトカーと消防車がついてくる」なんて噂もあって(ウソよね?)、自家用車で行くことにした。

人気テレビドラマ『ER』では、重病人が次々運び込まれ、廊下にはストレッチャーがひしめき、医師と患者の怒声が飛び交い、あちこちで緊急手術が行なわれてたっけ。ところが、ワシントンDC郊外の平日朝のERは、なぜか、しーん。順番待ちも10人程度。なんだこれなら1時間で終わりそう、と拍子抜けした。


どのように私は家の歴史を見つけるのですか私は

でも甘かった~。看護師さんが症状を聞いてくれた後は、完全放置。4時間後、ようやく医者風の男がやってきて、ああ、やっと治療が始まる! と思いきや、男はクレジットカードを寄越せという。お代は350ドル也……って、あの~、治療費、前払いなんですか?

実はこれ、ERの使用料。治療費は後日、別途請求されるんだって。ニューヨークでは、「運び込まれただけで700ドル(治療費別)」のERもあるらしい。ちょっと~、お金取る前に治療してよ!

そういえば、私の友人は急な発熱にインフルエンザを恐れ、夜中にERに駆け込んだら、6時間待たされ、あれこれ検査された挙げ句、診断は「インフルエンザじゃありません」。後日の請求額は1500ドルだったって! 血液検査は数百ドル、CT撮影で5000ドル、うっかり入院しようものなら10万ドルをあっさり超える、と聞いたこともある。

ERは、患者の医療保険や支払い能力の有無を理由に治療を拒否できない。だから踏み倒されるリスクを上乗せして、治療費は恐ろしく高額となる。アメリカの医療保険を持たない我が家の場合、日本にある夫の勤務先の健康保険組合が、7割を補助してくれたとしても、本人負担分がいったいいくらになるのやら……。

※週刊ポスト2011年7月15日号
(「ニッポン あ・ちゃ・ちゃ」第152回より抜粋)

余談ながら副鼻腔炎くらいで何を大げさなと思われるかも知れないですが、アメリカでは副鼻腔炎と言えば年間3700万人が罹患する非常にメジャーな疾患なんだそうで、日本人が誰も彼も春先にはマスクをして歩いているのを外人さんが奇異に感じるのと同様な国民病ということになるのでしょうかね。
副鼻腔炎への対応として何が適正なのかといった難しい話は全く知らずとも、長年「日本の医療は全くなっていない!アメリカをみろ!あの素晴らしさ!」とマスコミの絶讚してきた世界最高のアメリカの医療の現実というものがいかなるものであるのか、どんな人にもよく判るなかなか秀逸な記事ですよね。
公平を期すために言っておくと、アメリカでもちゃんと保険に入っていれば自己負担額がこんなに高くなることはないわけで、良い保険を掛けている人であれば自己負担はほとんどなかったなんてことも起こりえるのですが、問題は外国人だけでなく国民の間においても保険に入れない、あるいは入らない人間が少なからずいるということですよね。

アメリカでも本気で保険に入れない貧困層にはきちんと公的な保険システムがあり、また基礎疾患があって民間保険では受けてもらえないような人達も何かしら公的に救済すべきだという認識はある程度共有されているようですが、社会的に問題になっているのがそこそこの所得がありながら保険料を支払っていない中間層の人達が沢山いるということです。
もちろん日本などでもワープア層の保険料未納による無保険化が騒がれ始めているくらいですが向こうの場合は数がハンパでなく、国民の15%におよぶ無保険層が存在するというくらいで、そうであるからこそ企業の労働争議においても賃上げよりも会社のつける健康保険の方が交渉の争点になっていたりもするわけですね(GM破綻の一因も手厚すぎる社員への保険にあったとも言います)。
そして国民の間に「真面目に保険料を払っている俺たちが、なぜ掛け金も払わずバカでかいテレビ買って贅沢している連中の面倒までみなけりゃならないんだ」という根強い反発があるという事情を承知しておかなければ、なぜオバマさんの国民皆保険政策があれほど反対を受けるのか、マスコミのように「巨額の財政負担を危惧する声が」なんて言っているだけでは理解出来ない話です。


無保険者の増加問題なども近年日本においても話題になっているもので、先日はみんなの党が「年金や健康保険の未収金が11兆もある!増税よりこちらの対策を!」なんて問題提起をしていた通り、今や年金や健保は破綻の危機に直面していますけれども、アメリカと違って「お金で人の命が左右されるなんてとんでもない!」なんて考えが大まじめに語られる日本でこれがどういう意味を持つかです。
中国などでは治療費の先払いをしてレシートを添えて出さなければどんな重症であっても治療してもらえない、アメリカなどでは前述の記事の通り貧乏人だろうが誰だろうが受け入れるERがあるけれども、そこでは(少なくとも払える人間には)法外な料金を請求される、それでは皆保険制度下で国民総中流意識に慣れた日本の医療現場がいざ無保険者が押し寄せてきた時どこまで対応できるのかですね。
この医療をやってしまうと患者には明らかに支払い能力はなさそうだ、しかも生保の認定を受けられるほど極貧でもないという患者が、目の前で医療を受ければ助かるという状態で金がないから医療を受けられないでいるという状況に直面した場合に、「それじゃお金が出来てからまた来てください」と言える医者が何人いるかと考えて見ると、今の日本でさほど多くはなさそうですよね(多くても嫌ですが)。
そもそも現段階でも後で査定されると判っていても、ついついやり過ぎちゃったと言う類の医療を全くやったことのない医者の方が少数派でしょうし、公立病院などでは収益がなくとも治療をすることはまだしも許される(そして、そうした顧客が集まる病院も存在する)でしょうが、今後この問題がさらに一般化した時に現場がどう対応していくのかは今から考えておかないとならないでしょう。

そしてこうした無保険問題の根本として、保険というものはいざという時の巨額な出費を到底負担できないという人々が、その時のために平素から負担できる範囲で掛け金をかけておくというシステムであるわけですが、日本では命の価値はプライスレスとばかりに幾ら保険料の高騰が騒がれるようになっても医療の無保険だけはあり得ないと言う考えの方が常識化しているとも言えますよね。
ところがアメリカでは掛け金をかけずにその金を人生を充実させることに使っておいて、その結果いざという時の医療費が払えず黙って死ぬしかなくとも「それはそれで個人の選択の自由。いいんじゃない?」と考え受け入れる文化的背景が根付いているということも理解しておかなければ、なぜこんな重大な問題を長年放置していたのかと日本人には理解出来ないということになってしまいます。
もちろんアメリカでもいざとなればやはり命は惜しいもので、こうした中間層を中心に治療費の安い第三世界に手術を受けに行くといったメディカルツーリズムも広まってきていますが、これなども「諸外国のお金持ちを呼び込もう」なんて日本政府ご推奨の高付加価値型メディカルツーリズムしか知らない人間には理解しがたい(あるいは誤解を招く)現象ですよね。
日本においても例えばこれだけの地震大国であるにも関わらず地震保険が伸び悩んでいることからも判るように、別に日本人が保険に理解が深いと言うわけでも何でもなく、むしろ皆保険制度が先に用意された結果国民の(コスト意識が薄い)医療観が形成されたのだと考えると、無保険者が当たり前になった時代に医療従事者のみならず国民の医療観も変わらずにはいられないでしょうね。


このように「無保険者の医療問題」だの「メディカルツーリズムの広がり」だのとキーワードだけを取り上げれば確かに共通なのですが、その実態は全く異なっているものを同列に取り上げて「諸外国ではこうなっている。ひるがえって我が日本では」式の無意味な国際横並び論を展開するマスコミのミスリードと言うものにはよほど注意していないと、とんでもない勘違いをすることになりかねないわけですね。
ただどんなに制度が変わっていくにしろ、「かくあるべし」で理念先行では現場がついてこられなくなり必ず大きな歪みが発生してしまいますから、まずはともかく現場の声を聞く、それもマスコミのバイアスなどという余計なものがかからない生の声に耳を傾けるということが大事なんだと思います。
医療崩壊などと言う現象もマスコミが問題視するかなり以前から言われていて、早くからネット界隈で警告を発してきた医療従事者の間では「だから必ずこうなるよとあれだけ言ったのに」と失望すら感じている人も少なからずいるようですが、医療に限らず「また狼少年なんだろ?」と言わずに専門家が警鐘を鳴らしていることにはそれなりに耳を傾けておいた方が、売らんかなのマスコミの言うことよりは信用出来るんじゃないでしょうか。



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