- モンタナ州
- State of Montana
- 州の愛称: 宝の州
Treasure State
モンタナ州(モンタナしゅう、Montana MT、 /mɒnˈtænə/)は、アメリカ合衆国の北西部の州である。アメリカ合衆国には41番目に加盟した。州都はヘレナ市である。
東西の長さが1,040 km、南北が410 km と東西に長い矩形をしており、西側3分の1には多くの山脈が走っている。中央3分の1には小型の孤立型山脈が見られ、これらがロッキー山脈の名前が付けられている77の山脈に入っている。この地形的特徴により、スペイン語の montaña (山、mountain)に由来して、州の名前が付けられた。モンタナ州には幾つかニックネームがあるが、どれも公式のものではない[1]。例えば「大きな空の邦」や「宝の州」であり、またスローガンでは「輝く山脈の地」、さらに最近では「最後の最良の地」がある[2]。陸地面積では全米第4位であるが、人口では少ない方から第7位、人口密度では小さい方から第3位である。経済は主にサービス業に基づいており、東部では牧畜業、小麦農業、石油と石炭の採掘、西部では林業、観光業および岩石採掘業が盛んである[3]。毎年多くの観光客がグレイシャー国立公園、リトルビッグホーン戦場跡国定保護区、およびイエローストーン国立公園を訪れている。ワイオミング州にもかかるイエローストーン国立公園には州内に3か所の入り口がある[4]。
[編集] 州名の由来と命名の経過
「モンタナ」という名前はスペイン語で山、あるいは山の国を意味する Montaña から来ている。州西部の山岳地を表すために初期スペイン人探検家が Montaña del Norte (北の山)と名付けていた。歴史家達に拠れば、元カンザス準州知事のジェイムズ・W・デンバーが、アメリカ合衆国上院準州委員会委員長のスティーブン・ダグラスに新しく提案する準州の名前を求められたときに、このスペイン語の名前があることを知っていた。ダグラスがモンタナという名前を冠した法案を提出することは無かったが、少なくともこの名前を紹介した者とされている。オハイオ州選出のジェイムズ・アシュレーが主宰していた下院準州委員会が、アイダホ準州となる領域に提出した法案にはモンタナという名前が加えられていた。これに対してマサチューセッツ州のヘンリー・ウィルソンとオレゴン州のベンジャミン・F・ハーディング両下院議員がモンタナには「意味が無い」と異議を唱え、名前が変更された。
1864年にアイダホから分離した新しい領土に暫定政府を設立するため、アシュレーが新しい法案を提出したときには、再度モンタナ準州という名前を選んでいた。この時には同じくオハイオ州のサミュエル・コックス下院議員がその名前に反対した。コックスはこの領土が全て山で覆われている訳ではないので誤った名前であること、またスペイン語よりもインディアンの言葉で名付ける方が適していると主張した。これに対してイリノイ州のエリフ・ウォッシュバーン下院議員は冗談交じりに「アビシニア」という名前を提案した。コックスは「ショショーニ」という名前を提案したが、これは蛇を意味するものであり、笑いを誘った。このとき法案は既に審議されており、全体の合意無しに名前を変えられる状態ではなかった。コック スが新しい準州を「ジェファーソン」と呼んではどうかと提案すると、アシュレーは「あーそれには反対している」と応じた。これに驚いたコックスは「ジェファーソンに反対だって!私は全会一致で新しい準州の名前を付けることを提案する。「ダグラス準州」だ。前に反対した諸君もこれには同意するだろう」と述べると、アシュレーは「いやだめだ、それには応じられない」と答えた。ジョン・プリュイン下院議員は、アイダホ準州のケイレブ・ライアン知事が、アイダホの方が山が多いので名前を入れ替えてはどうかと言っているとコメントした。最後にメリーランド州のエドウィン・ウェブスター下院議員が進み出て、全ての父親はその子供に名付ける権利がある、この法案は準州委員会の産物なので、委員会が望むように名付� ��ることができると提案した。大きな笑いの後で命名の問題は決着した[5][6]。
詳細は「モンタナ州の歴史」を参照
1864年5月26日にモンタナ準州としてアメリカ合衆国の行政単位になり、1889年11月8日に41番目の州となった。
現在のモンタナ州となっている地域には数千年前から様々なインディアン部族が住んでいた。アメリカ合衆国が誕生してから、ヨーロッパ人や開拓者が遭遇した部族としては、南中部のクロウ族、南東部のシャイアン族、中部と北中部のブラックフット族、アシニボイン族、グローバントル族、西部のクーテネイ族、サリッシュ族などがいた。少数のポンダレイ族やカリスペル族はそれぞれフラットヘッド湖近くや西部山岳地に住んでいた。
州内の大陸分水界より東の地は1803年のルイジアナ買収に含まれていた。その後のルイス・クラーク探検隊や1850年代後半の金と銅の発見に続いて1864年5月26日にモンタナ準州となった。部分によってはオレゴン準州(1848年-1859年)、ワシントン準州(1853年-1863年)、アイダホ準州(1863年-1864年)、およびダコタ準州(1861年-1864年)の一部だった時代があった。
アメリカ陸軍が1860年代後半に一連の基地を設立した。これにはショー砦、ジュディス川沿いのキャンプ・クック、ボーズマン・トレイル沿いのC・F・スミス砦などがあった。
領域内はインディアンがその土地の支配を守ろうとしたことで幾つかの戦闘の舞台になった。現在のハーディンの町近くではリトルビッグホーンの戦いが行われた。またネズ・パース戦争の最後の戦闘も行われた。
1862年から州内西側3分の1で、金、銀、銅、鉛、石炭(後には石油)が発見され、数多い坑夫をこの地に引き寄せた。金の最も豊富な露天掘り鉱脈がアルダーガルチで発見され、バージニアシティの町が設立された。その他豊富な鉱脈としては、現在ヘレナ市となっているラストチャンスガルチ、コンフェデレイトガルチ、シルバーボウ、エミグラントガルチ、クックシティがあった。1862年から1876年の金産出量は1億4,400万ドルに達した。当時の銀はさらに重要になった。最大の鉱山はビュート市にあるものであり、重要な銀鉱脈と巨大な銅鉱脈があった。
19世紀後半からは牛の牧畜がモンタナ州の歴史と経済で中心を占めてきた。ディアロッジ・バレーにあるグラント・コアーズ牧場国立歴史史跡は19世紀後半の牧畜様式を伝えるものとして残されている。アメリカ合衆国国立公園局が運営しており、広さは1,900エーカー (7.7 km²) ある。
鉄道は1880年代に開通した。1889年のグレート・ノーザン鉄道、1883年のノーザン・パシフィック鉄道(ミネアポリス発)、および1881年のユニオン・パシフィック鉄道(デンバー発)があった。モンタナ州の鉄道は太平洋岸に抜ける大陸横断線が2本と、鉱山に引き込まれた枝線があって主要産業となり、その中心はビリングスやハバーだった。モンタナは1889年に州に昇格したが、ノースダコタ州、サウスダコタ州およびワシントン州との同時昇格だった。
1909年に改定されたホームステッド法によって州内の開拓地は大きな影響を受けた。この改定法では1家族に与えられる無料土地の面積がそれまでの160エーカー (0.6 km²) から320エーカー (1.3 km²) に広げられた。無料の土地と小麦の高価格に吊られて数十万人の経験の無い農民が州内に入ってきたが、ほとんど雨の降らない気候に対する備えが無く、また乾燥地農法の特別な手法が必要とされた。1917年から1919年まで続いた干ばつは破壊的なものとなり、多くの者が州を離れ、州内の銀行の半数は返済できない貸し金を扱っていたので倒産した。1930年代の世界恐慌は農夫、牧畜業者および坑夫にとってさらに厳しい状態を強いたが、1940年代には経済が持ち直した。州東部の小麦農場は州を小麦の主要産出地とした。小麦はタンパク質の含有率が比較的高く、高値で売れた。1940年以降、イエローストーン国立公園やグレイシャー国立公園が観光地となって、観光業は州内第3位の産業となった。
州内の政治は競り合いが続いていたが、坑夫や鉄道従業員の組合が支持したことで、民主党が支配することが多かった。ビュート市を本拠としてロックフェラーの資本が入った巨大企業アナコンダ銅会社では、会社が閉鎖された1970年代まで大規模な労働争議があった。この会社は1959年まで州内の大きな新聞6紙のうち5紙を所有していた。
「w:List of Montana rivers」、「w:List of mountain ranges in Montana」、および「w:List of Forests in Montana」も参照
北のカナダとは 545 マイル (877 km) にわたる国境で接しており、ブリティッシュコロンビア州、アルバータ州及びサスカチュワン州の各州と接している。国境に近いこの地域は通常 "High Line" と呼ばれている。東はノースダコタ州と接している;南東はサウスダコタ州と短い長さで接している。南はワイオミング州との州境であり、西及び南西はアイダホ州との州境である。
モンタナ州は陸地面積が147,046 平方マイル (380,849 km²) あり、アメリカ合衆国内ではアラスカ州、テキサス州、及びカリフォルニア州に続き4番目に大きな州である。日本より僅かに大きく、パラグアイより僅かに小さい。世界の国と地域を合わせて見ると第56位となっている。主要な川としてはミズーリ、コロンビア川クラーク支流、ミルク川、フラットヘッド川及びイエローストーン川がある。
[編集] 地勢
州北西部から南中部に斜めに走る大陸分水界線がその西部と東部ではっきりと異なる地形にわけている。西部は山岳が多く、地質および地形的にロッキー山脈北部に属している。南部のアブサロカ山脈とベアトゥース山脈はロッキー山脈中部に属している。州面積の約60%はプレーリーであり、グレートプレーンズの一部になっている。大陸分水界とロッキー山脈フロントの東にも多くの孤立した山脈があり、プレーリーの中で目立っている。州を東西方向で3つに分けたときに、その中央3分の1ではこの孤立山脈が特徴になっている。
アラスカ州からメキシコまで連なるロッキー山脈全体の中で最も長い部類の山脈にあたるビタールート山脈が、西のアイダホ州とを分けており、その南3分の1は大陸分水界に合流している。ビタールート山脈と大陸分水界頂点との間にある山脈としては、キャビネット山脈、アナコンダ山脈(非公式にピントラーズ山脈とも呼ばれる)、ミッション山脈、ガーネット山脈、サファイア山脈およびフリントクリーク山脈がある。
大陸分水界の北側は急速にプレーリーに移行する場所であり、集合的にロッキー山脈フロントと呼ばれている。このフロントはルイス山脈と呼ばれることが多く、主にグレイシャー国立公園内にある。グレイシャー国立公園内の山脈の形状のために、アラスカのスワード半島に始まる北部分水界はここから東に曲がって、トリプル・ディバイド・ピークでモンタナ州内に入っている。そのためにウォータートン川、ベリー川、およびセントメアリーズ川は北に流れてカナダのアルバータ州に入っている。そこでサスカチュワン川に合流し、最終的にはハドソン湾に注いでいる。
大陸分水界の東は州南部を横切る幾つかの並行する山脈があり、グレイブリー山脈、トバコルーツ山脈、マディソン山脈、ギャラティン山脈、ビッグベルト山脈、ブリッジャー山脈、アブサロカ山脈、およびベアトゥース山脈と呼ばれている。ベアトゥース高原は大陸アメリカ合衆国で標高10,000フィート (3,000 m) 以上にある最大の連続した土地の塊である。ここには標高12,799フィート (3,901 m) と州内最高点であるグラニット峰がある。
山脈の間には多くの景観に富むバレーがあり、、農業資源や川に富み、観光やレクリエーションに多くの機会を提供している。良く知られている場所としてはビッグホール・バレー、ビタールート・バレー、ギャラティン・バレー、フラットヘッド・バレー、およびパラダイス・バレーがある。
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